第2章 家じまいの心の準備
“For the wise man, a little is enough.” ― Epicurus
(賢者にとっては、少しで十分である)
目次
2.1 「手をつけられない」という気持ち
家じまいを始めようと思っても、最初の一歩が出ないことがあります。
部屋を前に立ち尽くし、「どこから始めればいいのだろう」と心が重くなる。
押し入れを開ければ、子どもの頃の通知表、古びた旅行カバン、まだ使えると思って取っておいた食器――。
処分すれば、まるで自分の人生を切り捨ててしまうような気がする。
そんな感情の揺れは、誰にでも訪れます。
エピソード① 「母の着物を前に」
ある女性は、母の遺した着物を前に、何時間も動けませんでした。
触れると、母の声がよみがえってきます。
「これを処分したら、母まで消えてしまうのではないか。」
心の中では、手放すべきだという理性と、残したいという感情が綱引きをしていました。
けれども「少しで十分」というエピクロスの言葉を思い出したとき、ようやく答えを見つけました。
一着を残し、残りを手放す。
「全部を抱えなくても、母は私の中で生き続ける」――そう気づいた瞬間、涙とともに安堵が訪れました。
2.2 “喪失”の痛みと“吟味”の喜び
家じまいでは、ほとんどの人が「捨てる=喪失」と捉えてしまいます。
しかし本当は「吟味=選び取る」時間なのです。
“The richest man is the one who is content with the least.” ― Socrates
(本当に豊かな人とは、少しのもので満足できる人である)
つまり、モノを減らすことは、豊かさを減らすことではなく、むしろ「大切なものを際立たせる」ことなのです。
エピソード② 「アルバムを開く父」
70代の父は、アルバムの山を前に途方に暮れていました。
めくるたびに出てくる懐かしい笑顔。
「全部残したい」という気持ちと、「これでは子どもに迷惑だ」という理性。
葛藤の中で、父はふと気づきます。
「私は写真そのものより、そこに写る出来事を覚えている。語り継げばいいのだ。」
残すのは数冊。あとは子どもたちとデジタル化。
手放すときの胸の痛みは確かにありました。
けれど、その後に広がったのは**「軽やかさ」**でした。
大切なものだけが残ることで、むしろ人生が濃く見えるようになったのです。
2.3 「持たざること」が与える自由
多くの人が「まだ使えるのに」「もったいない」と手を止めます。
けれども、手元にあるがゆえに、ずっと「処分しなければ」と心を縛られるものもあります。
“Only the free man can live without possessions.” ― Epictetus
(持たざる者こそ自由である)
所有が多ければ多いほど、自由は小さくなります。
逆に、手放すことで広がる空間、身軽さ、心の余裕――それこそが家じまいの贈り物なのです。
エピソード③ 「子どもに任せない選択」
ある高齢女性は、タンスの前に座りながら言いました。
「もし私が何もせずに亡くなったら、この荷物を全部、子どもたちに託すことになる。
あの子たちに、私の代わりに泣かせたくない。」
彼女は、一つひとつに触れながら、捨てるか残すかを決めていきました。
決断のたびに、心は痛みます。
けれども最後に振り返ったとき、そこにあったのは**「自由」**でした。
「私は私の人生を、自分の手で締めくくれた」
その言葉には、揺るぎない誇りがありました。
2.4 心の準備の実務的ステップ
感情の揺れを前提にしてこそ、家じまいはスムーズに進みます。
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目的を定める ― 子どもへの配慮か、自分の安心か。
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判断の基準を持つ ― 「残す/譲る/手放す」の3分類を徹底する。
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少しずつ始める ― 感情が疲れない範囲で。
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保留を許す ― すぐ決められないものは「保留箱」に。時間をかけて向き合う。
2.5 方法を見つけるために
家じまいは、モノとの別れを通じて心を揺さぶられる営みです。
しかし、その揺れは「吟味」を深め、最後には「少しで十分」という理解へと導いてくれます。
心の準備が整ったら、次に必要なのは**「順序と方法」**です。
どの部屋から取りかかるか、どんな分類を使うか、家族とどう役割を分担するか――。
準備があっても、実際に進める際には迷いや停滞がつきものです。
次章では、家じまいを実際に進める際のステップを整理します。
モノを動かす作業の中で再び感情が揺れるでしょう。
しかし、その都度「方法」を持っていることが、前進する力になります。
家じまいの旅はまだ始まったばかり。
次章からは、いよいよ**「実際の道案内」**をしていきましょう。
章末コラム:感情に折り合いをつける
家じまいは、合理的な「片づけ」のプロセスであると同時に、深く感情に触れる行為でもあります。
手放そうとする品が、かつての思い出や人とのつながりを呼び起こし、決して単純には決断できないこともあります。
ある人は、古びた食器棚の前で立ち尽くします。
それは日常の一部であり、家族との食卓の記憶を背負っている存在です。
感情に折り合いをつけるとは、「捨てる/残す」という二択に感情を押し込めることではありません。
むしろ、その感情をきちんと認め、
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「悲しい」
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「懐かしい」
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「ありがとう」
といった気持ちを言葉にしながら、ゆっくりと整理していくことです。
心理学的にも、言語化することは感情の処理を助け、後悔を減らす効果があるとされています。
また、「使うこと」と「残すこと」を同じ基準で考える必要もありません。
使わないけれど心の支えとなる品は、
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飾る
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写真に撮って残す
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記録する
など、新しい形で保存する方法があります。
これにより「捨てなければならない」という思い込みから解放されます。
大切なのは、自分の感情を否定せず、それに正直に向き合うこと。
そして
手放すことが別れではなく、思い出を新しい形に移すことだ
と理解できたとき、家じまいは単なる片づけから**「心の整理」**へと昇華していきます。
実務のヒント:心の準備と向き合い方
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「捨てられない」という気持ちを否定せず受け入れる
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感情を言葉や記録に残す工夫をする(メモ・アルバムなど)
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手放すことは「失う」ことではなく「自由を得る」ことと捉える
出典
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Epicurus — Vatican Sayings: “For the wise man, a little is enough.”
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Socrates (reported in Xenophon) — “The richest man is the one who is content with the least.”
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Epictetus — Discourses: “Only the free man can live without possessions.”
